5月5日こどもの日の夜に、NHKでやってた、
ザ・ライバル「少年サンデー・少年マガジン物語」
という番組が、「おっきなお友だち向け」の番組なんですけど、おもしろかったです。
50年前の同じ日に発売された、2つの子供向け週刊誌、「少年サンデー」と「少年マガジン」の2誌について、再現ドラマ、当時の様子、関係者のインタビュー等で構成された、1時間半の番組でした。
創刊号は、われわれの知っているサンデー、マガジンとは、かなり内容が違ってますね。
テレビも利用していて、すでにメディアミックスの手法が取り入れられていたんですね。
マガジンも、「テレビまんが」 ・・・ って呼んでましたね。
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ドラマ・パートは、二人の若手漫画編集者が成長していく様子と、2つの雑誌が進化していく様子を重ねて、1本の太い流れを作っておいて、その脇に、ところどころ、いろんなエピソード、トピックをくっつけました、というもの。
放送時間が短いせいで、そのエピソード的なものが、ぱっぱ、ぱっぱと種をまくだけまいて、その後どうなっていくのか、全然刈り取ってくれない、という、かなりものたりないものでした。
分業制のこととか、漫画家は作品に対してどこまで権利や責任を持っているのか、編集部で先に企画を立ててから漫画家に描かせてる、野球を知らないから描きたくないという漫画家に野球漫画を描かせてる、編集者の役割とか立ち位置・・・、など、触れられているけど、回答は示していない。
それから、たとえば、「これ、どうなってんの?」と強く感じたところ。
サンデーは、手塚治虫、藤子不二雄、寺田ヒロオという、当時の人気漫画家を獲得し、マガジンに一歩リード。とくに手塚治虫は、大人気漫画家なので、他よりも特別扱いで、ページ数も多かったとか。
・・・で、藤子不二雄は、「海の王子」。私は読んだことがないのですが、一部では有名な作品で、名前は知ってました。
寺田ヒロオは、代表作と言える「スポーツマン金太郎」。これも読んだことはないのですが、名作だそうです。
そして、鳴り物入りの手塚作品は、「スリル博士」・・・すみません、全然知らないんですけど。
作品数が多いから、ほかの作品の評価に埋もれてしまっているだけなんでしょうかね。
私くらいの年代だと、せいぜいブラックジャックしか知らないもので、手塚治虫がどうして神様なのか、今ひとつ実感がないっていうか。BJ以外だと、「アドルフに告ぐ」、「ブッダ」くらいしか読んだことがないんです。
これ以降手塚については触れられないし、ドラマ中でのこの描写は、「手塚というネームバリューが欲しかっただけで、作品はどうでもよかった」という意味にとってしまうんですよ。いろんなところで、偏った知識を刷り込まれちゃってるかなぁ。
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最後のほうで、さらっと出てた、ジャンプとチャンピオン。どちらも、創刊時は週刊ではなくて、月2回、隔週だったんですね。
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ドラマで、「おいおい、ちょっとまってよ、またボールを投げっぱなしで、あとは視聴者が自分で理解してね、ですか?!」と思ったのが、最後の方のシーン。
編集者が、漫画家に、パンチがあって、大人も読める漫画を描くように依頼するシーンがありました。漫画家は、バカヤロウ!と言って、その依頼を断ります。少年サンデーは子供が安心して読めるものだったはずだ、みたいな理由を述べて。
この漫画家は、ドラマ中では、土屋先生と呼ばれていますが、寺田ヒロオっぽいですよね・・・
その後のテラさんの人生を考えると、すっごく複雑な気分になります。
結果として、その後、漫画がどういう方向に進んでいったかっていうと・・・、ねぇ。
子供だけのモノ、から、大人も楽しめるモノ、へと裾野が広がっていった、って言えばいいんだろうけど。
テラさん、ちょっと頑固すぎだったのかなぁ?
ちなみに、「まんが道」が大好きな私としては、あそこでは、「バカー」って叫んで欲しかったかも[E:happy01] いや、全然場面が違うし
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