2009年5月6日水曜日

20年前を振り返ってみる ~ I/O 1989年5月号

先日が10年前だったので・・・

10年前を振り返ってみる ~ ASCII DOS/V ISSUE 1999年5月号

ついでに、20年前もいってみます。



I/O
平成元年5月号
(工学社)



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ずいぶん後になって知ったんですが、アスキー創業者の西和彦って、まず最初に、工学社でI/Oを出して、その後すぐに喧嘩別れか何かがあって、アスキーを作ったんだとか。西氏は、おばあちゃんがお金持ちだったので、お金には困っていなかったとか、なんとか。 (情報ソースは自分の記憶)



岡田斗司夫は、昔、家がお金持ちだったのでいろいろなことができた、とかいう話がありましたが、なんとなく共通点を感じます。他にも、関西出身、年齢が近い、体格(岡田はやせちゃいましたが)、うーん、その程度か。





目次。クリックして拡大表示。



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I/Oは、80年代中ごろは、たくさんの広告が載っていて、ものすごく分厚くて、記事の内容もパワフルでした(私は、内容はほとんど理解できてませんでしたけど)。1989年5月号を見てみると、ページ数も減り、ずいぶんとおとなしくなっています。内容も、昔のような技術系マニア志向ではなく、どっちかというと、新たにパソコンを学び始める人向けに、入門的なやさしい内容を増やしているように感じられました。

その後、I/Oはどんどんと寂しくなっていってしまったようで(私も、90年ころには買わなくなってた)、無くなってしまうかと思ったら、なんとまぁ奇跡のように、2009年5月現在も、生き残っているそうです。



1989年5月ころは、世の中全体で言うと、



  • 1月7日に昭和が終わって、平成元年がスタート


  • 4月1日に消費税が始まった。税率は3%


という感じ。



以下、かなり乱暴な分析ですけど・・・



パソコン業界は、もっぱらホビー用途だった8ビットパソコンがほぼ終焉を迎え、16ビットパソコンがあたりまえのようにビジネス等で使われはじめ、32ビットパソコンも登場しはじめ、NECのPC-9801シリーズがどんどんシェアを広げていったころ。
80年代に始まったOA(オフィス・オートメーション)ブームのころは、BASICとかでプログラムをかけないと、これからサラリーマン、ビジネスマンは生き残れない、みたいな妙なプレッシャーがあったらしいですが、それもだいぶ落ち着いて、パソコンを使っているところでは使ってるし、使っていないところではまだ全然、というような段階だったのではないでしょうか。理系の大学生でも、パソコンを持ってる人は、かなり少なかったです。



個人的には、1989年4月が、生活が大変化した時。これまで一人ぼっちだったのが、いろんな人と出会って、スポンジが水を吸うように、ものすごい勢いで知識を吸収しはじめた年でした。PC-9801シリーズってつまんねーパソコンだと思ってたけど、へぇ~、こんな風に使われてるんだ、みたいな。
20年前の今ごろは、必死になって、MS-DOSの使い方を憶えていました。





まずは広告。



NECの広告ですが、おどろくことに、パソコンの広告がありません。プリンタ、モデム、スキャナといった周辺機器だけです。もうパソコンの天下をとったから十分、と思ってたのか、それとも、I/Oに、広告媒体としての価値を見出していなかったのか・・・



表2・3広告は、レーザープリンタ。他のプリンタに比べて、抜群にきれいな文字で印刷できるレーザープリンタは、あのころあこがれでした。値段も、抜群でしたので、こっそりと借用したりとか・・・ 大学のレポートを、LaTeXで書いてレーザープリンタで印刷すると、そりゃぁもう、何コレ、スゲー!という驚愕のクオリティの高さ!! 内容はそれに追いついてませんでしたが。




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パソコン通信も、だいぶ普及していたころ?私は、お金の問題もあり、まったくやってませんでしたけど。
NECのモデムは、COMSTARというブランド名だったようです。



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スキャナは、64階調、26万色、200dpi程度らしいです。インターフェイスは、RS-232Cが基本で(のろいんだろうなぁ)、SCSIではなく、専用のパラレルインターフェイスがあったり、GP-IBもあったり。
DTP(デスクトップ・パブリッシング)が話題になっていた時期らしく、パソコン、レーザープリンタと、スキャナがあれば、ほーら、こんなのが作れちゃいますよ~と宣伝してたのかも (ソフトは何使ってたんだ?)



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エプソンが出した、PC-9801互換機。そうそう、「国民機」って呼ばれてました。
このPC-286LSは、ラップトップ・タイプというもので、ひざの上にのせて使うには、かなりきついな、くらいのでかさです。CPUは80C286の12MHz、8階調の白黒液晶、ハードディスクは、20メガバイトか、40メガバイト。値段は、478,00円、613,000円、703,000円の3機種があります。



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1989年は、まだハードディスクは値段が高く、広く普及はしていませんでした。一応、売られてはいるんですが、20MBか40MBで、10万円以上があたりまえ、な感じで、普通の人は、まだ手出しできない領域。あのころは、フロッピーディスク2台と、あと、RAMディスクを使ってましたね。





シャープのX68000の広告。通称「ぺけろっぱー」、略称「X68k」。
これは初代X68000、マイナーチェンジしたACEに引き続き、そのまたマイナーチェンジとして1989年春に登場した、X68000 EXPERTとX68000 PROです。
今思えば、性能向上する速度が遅すぎますね・・・昔は、そんなもんでした。



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初代のX68000は、1986年10月2日に東京晴海のエレクトロニクスショウで発表されましたが、店頭で販売されるようになったのは1987年3月ころらしいです。



私が心底欲しいと思った機種がX1で、手に入れたのはX1C、X1turboは欲しかったけど経済的に困難であきらめる(後年、思い出のためにX1turboZを手に入れる)。そんな流れがあるため、X68000は欲しくてしかたないけど、X1turboよりはるかに高額で、50万円超という値段は、どう考えても無理。
・・・ところが、1989年4月に、幸運にも、X68000を使える環境に恵まれ、十分堪能できました。そのうち、だんだんと視野も広がり、PC-9801シリーズや、Macintoshなども使えるようになってくると、X68000はもういいかな、とか思って、結局買いませんでした。買ってたら、今とは違う道を歩いていたかもしれないなぁ。





パソコン欲しい、でも値段が高い、じゃあ・・・ってことで、一部の人が手を出したのが、ポケコン。私も、9800円でPC-1245を買って、いろいろ使ってましたが、やっぱりポケコンの機能や性能には限界がある。



そう思うようになって幾年月。これは!と思ったポケコンが、このPC-E500。



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これ欲しい!でも高いかな? なんて思ってたんですが、なんたる偶然か、これと中身はほぼ同じPC-1480Uを大学生協で、1989年4月に購入。
たぶん、1989年5月のゴールデンウィークは、PC-1480U三昧だったんじゃないかなぁ。ハンドアセンブルしながら、マシン語を必死に覚えていた記憶があります。





富士通のFM-TOWNS。1989年2月28日に発表されたばかりのころ。





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TOWNSは、世界初のCD-ROMドライブを内蔵したパソコンらしいです。「2年遅れでやってきたX68000のモノマネ」みたいな評価がされることがありましたが、私も、FM-TOWNSには、ぜんぜん興味ありませんでしたし、使ったこともないし、見たこともほとんどなかったんで・・・





これも富士通の、FM77 AV40SX。うーん、よくわかりません。80386で32ビットなTOWNSを出しておきながら、まだ8ビットな6809マシンの広告も同時に出してたんですね。よくわかりゃん。
77AVというのがあった、ということまでは憶えてますが、それって、もともとX1turbo対抗機種? みたいな。



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富士通の広告が多いな。今度はFM-Rなんとか。PC-9801対抗機種だと思うんですが、全然魅力がなかったです。ほとんど見かけないのに、なぜか、大学の実験室にゴロゴロたくさんあって、仕方なく使わされたんですが、みんなPC-9801とは違うんで、使いにくそうでした。
この広告に載ってる単語をピックアップしてみると、OS/2、MS-DOS V3.1、F-BASIC86HG2、COBOL/2、Multiplan、1-2-3、FM-OASYS、MS-WINDOWS V2.0、などなど。



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メルコ(現バッファロー)の拡張メモリ。PC-9801シリーズ用。
プロテクトメモリという用語も懐かしいけど、EMSってのも懐かしいなぁ。EMSって1-2-3で必要になったんですね。私は1-2-3って使ったことがないので全然わかりませんが、一太郎Ver.4が、たしかEMSがないとまともに使えない、とかいう感じだったような気がします。一太郎も、ほとんど使ったことがないので、これ以上コメントしようがないです。



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上と、ほとんど同じような拡張メモリが、アイオーデータから。
メルコは「バンク」と呼んでますが、こっちでは「I・Oバンク」と呼んでいる、いわゆる「バンクメモリ方式」というメモリ拡張方式の規格ですが、もともとアイオーデータが作ったもの。だから“標準”と宣伝しているんでしょう。バンクメモリは、128KB単位でメモリを切り替えていたんですが、それよりもよりフレキシブルな方式として出てきたのが、EMSという規格。4KB単位でマッピングできたような気がします。
EMSもバンクメモリも、PC-9801では、メインメモリは640キロバイトまでしか使えない、という「640KBの壁」を克服するために登場した技術(ちなみに、「ハイレゾマシン」は768KBまで使えたような)。大昔は640KBもあれば十分だろう?ということでそんな壁ができちゃったのですが(640KBに決めたのはビルゲイツだとかいう噂がある)、現在は「4GBの壁」ですか。



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キヤノンのバブルジェット・プリンタ。「次世代標準プリンタ BJ-130J新登場」とうたわれています。「次世代」と宣伝されるもので、本当に標準になるものは少ないですが、これは本当にそうなりましたね。
ちなみに、お値段は、198,000円。高い!
それと、「静粛45dB」と宣伝されているんですが、かなりうるさいと思うんですけど・・・
しかし、それまで広く使われていたドットインパクト方式のプリンタは、もっとうるさくて、防音ケースなるものも売られていたようです。



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AIWAのモデム。「MNPクラス5搭載」の「2400/1200/300bps 全二重インテリジェントモデム」だそうで、お値段は54,.800円。
パソコン通信って、ホント、お金持ち限定の趣味だったんじゃないの?!



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ところで、私がインターネットに初めて接したのは1990年。インターネットと呼ばずにJUNETって呼んでて、まだWWWなんてなくて、(Anonymous)
FTPもほとんど無かったし、使ってたのは、電子メールと、ネットニュースのfj.binaries.なんとか、fj.rec.なんとかくらい。インターネットがいったい何の役に立つのか、ぜんぜんわかってませんでした。とはいえ、パソコン通信を知る前に、(大学とかなどで無料で使えてしまう)インターネットを知ってしまったんで、最後まで、パソコン通信に魅力を感じなかったのかも。





実はあんまり知らないんだけど、「OAナガシマ」というパソコンショップの広告を見つけました。
この名前のお店は今でもあるんですけど、どっちかというと、秋葉原にある「ZOA」の系列の店、ってことで覚えています。



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T ZONEの広告。この建物は、今現在、ドンキホーテの隣にある、ツクモの黒い建物でしょうか? T ZONE時代のときに黒い外壁に改装され、屋上にアマチュア無線のアンテナのタワーが建っていたはず。



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この広告は、このIBM PC/AT互換機など、1989年当時としては、かなりマニアックな路線をいってます。





特集記事は、「パソコン・ユーザーのためのミニ・ワープロ入門」。



ワープロ専用機と言っても、16ビットCPU搭載(NECのV20、V40など)、フロッピーディスク、液晶ディスプレイを内蔵していて、RS-232Cでパソコン通信もできたりと、パソコンと遜色ないスペックでありつつ、値段が安いので、そういったワープロを、パソコン・ユーザー向けにわかりやすく紹介しましょう、というものでした。



そういえば、当時、NECの文豪は、CP/Mが使えてすごい!と、一部で話題になってました。私はぜんぜん興味なかったんですが・・・



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ソニーからは「プロデュース」っていうワープロが出てたんですね。へー、知りませんでした。ソニーとワープロって、イメージが結びつかないなぁ。





I/Oといえば、プログラムのリストが何ページ、何十ページも掲載されている雑誌、というイメージがありましたが、1989年となると、ちょっと毛色が変わってきているようです。



カラーページに、BASICのリストが載ってる。もったいない!?
というか、昔は、もっと文字が小さかったはず。



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それにしても、頭が混乱させられる、典型的なスパゲッティ・コードじゃないですかね、これは。
BASICじゃ、こうなっちゃうのかなぁ・・・あーもう忘れた[E:coldsweats01]





一応、ダンプリストも載ってます。この部分は明らかに、プログラムではなくデータですね。



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そして、すっかすかな、アセンブラのリストも掲載。空いたところにイラストが載ってたり。



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こういうのを見ると、実は、ページ数を埋めるだけの原稿がない、という状況だったんではないかと、推測してしまいます。



また、冒頭で書いたように、パソコンというものがある程度一般化した当時、新たにパソコンで、プログラミングなどの学習をしようとする人向けにと、ビギナー向けの記事を増やそうという編集方針にしてたんじゃないか、と思えるふしもあります。ビギナーと言っても、その時代で考えられているビギナーなのでありまして、Windows95年以降のパソコンブーム時期のビギナーと比較したら、かなりハードルは高め。「本気でパソコンを使いこなす技術者になるつもりのビギナー」って感じです。





I/Oといえば、欄外の「I/Oプラザ」。読者からの投稿欄です。2ヶ月おくれで議論を続けてたりもして、今思えば、なんとも気の長い話です。パソコン通信というメディアが登場し、同じ趣味を持つ人同士が手軽にコミュニケーションできるようになったとはいえ、私のように、やっぱりパソコン通信はいろんな事情で無理、ということもまだまだあったでしょう。マイコン/パソコン創生期は、雑誌というのは、そういう情報交換のメディアとして、大切な役割を担ってきたんでしょうね。I/Oプラザは、気軽に参加できるコミュニケーションの場、という位置付けだったと思われます。



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このほかにも、マイコン・クラブ、パソコンの同好会、サークルみたいなもの? の会員募集のページがありました。





インテルの「64ビット・マイクロプロセッサi860」の記事。ちょうど発表されたばっかのときだったようです。よく知らないんですが、のちに、i860は、まったく成功しなかった駄作、という評価がされたみたいです。



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ハードウェアの製作記事も、まだ載ってました。これも、昔よりはレベルが低めになっているような気がします。



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海外情報の記事もあります。今読んでみると、かなり時代を感じさせる単語が並んでいます。



  • 昭和天皇の大喪の礼


  • 西ドイツのハッカーがNASAのコンピュータに侵入して、西側の機密データを、ソ連に売った


  • テトリス


そうだ、そうだ、あのころ、ファミコンで、テトリスをやりまくってました [E:happy01]



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「マイコン学入門」という記事、FM-7の歴史を振り返っています。たったの2ページですが、へーなるほど、と思わせることが書かれています。右下のコラムも興味深く、パソコンの広告にタレントが登場するようになったのが、FM-7のタモリのころからで、それが、パソコンが大衆製品化し、パソコン市場が成長してきたことも象徴し、そして、宣伝力がものをいう時代に入った、といったことが論じられています。
なかなかよい視点だと思いますが、似たような内容の話を、AhSki!でも見たことがあったような・・・ その雑誌、あるはずなので、せっかくの機会なので、今、調べました。

月刊アスキー別冊 コンピュータパロディ総合誌
年刊AhSKI! ASCII パロディー版
昭和62年4月1日発行

の中にある、

近代プログラマのタ(た)
ニホン語,得意/富士通FMRシリーズ・イメージガールの知られざる素顔

という記事で、「パソコン・イメージキャラクターのなぜ」という章がありました。ただ、こっちでは、パソコンが商業主義化していったことを指摘するような内容は出ていませんでした。



なお、初めてパソコン・キャラクターが登場したのは、「沖電気System9の獅子てんや瀬戸わんや」だそうです。・・・わからん [E:gawk]



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C言語の入門記事も載ってました。ソースリストを見ると、まるでBASICみたいなコードがかかれているんで、ギョっとしましたが。



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私も、このころ、いや1990年以降かな、PC-9801VMとTurboCで、C言語の勉強をはじめてました。





BASICの入門記事も、あったり。今さらBASIC~?という時代だったとは思いますけど、中学だか高校で教えるようになってたんでしたっけ?



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新製品紹介のコーナー。



ロジテックの「垂直磁化方式ディスク・ユニット」なるもの。3.5インチ2ED/2HD/2DD対応で、垂直磁化方式だと、2.95MBを実現、とか・・・そんなのあったの?



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下は、5.25インチの光磁気ディスク。NeXTとかでも採用してたっけ?



5インチの光磁気ディスクは、ホコリを吸い込んでしまって、すぐにダメになってしまうので、スロット部分にガムテープが貼られて、メディアが交換できなくされているドライブをときどき見かけました。





東芝から、3.5インチで4MBの容量のフロッピーディスクだそうです。そんなのあったっけ?



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あったね、TRON。なぜか、マイクロプロセッサまでも日本国内メーカーで開発しようとしちゃって・・・



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関東マイコンファンの買い物ガイド 「あきはばら地図(マップ)」



今ほどパソコンショップがない時代、こういったショッピングガイド的な記事(読者からの投稿)は、とても貴重な情報源だったんでしょう。インターネットになった時代でも、こういう情報は、とてもよく参考にされていますよね。



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秋葉原のほかに、日本橋、函館、仙台(「福岡」と誤植されてる)、酒田(どこ?)、大須、福岡、金沢、広島、宇部が掲載されていました。



秋葉原の地図(クリックして拡大)
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記事では「ソフマップ」が紹介されているのに、上の地図では、ソフマップが載ってないんだよなぁ。



あと、広告ページに、「マップジャパン」というショップの広告が6ページも掲載されてるんだけど、これ、どうみてもソフマップだよなぁ。記載されている電話番号も、その後ソフマップになってるんだけど。



これって、いわゆる大人の事情? 





というわけで、今回は、20年前を振り返ってみました。



30年前の雑誌は持ってないので、振り返れません・・・





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