2007年10月24日水曜日

日立のパソコン・・・

昨日の朝、日立がパソコンをやめると、テレビのニュースで言ってました。

「あれ?前にもやめるっていってなかったっけ?」

と思ったんですけど、2007年3月に、ビジネス用パソコンをやめてました(他のメーカーから供給を受けるようになった)。



「いや、もっと何年も前に撤退ってなかったっけ?」と思ったんですが、うーん、三菱と勘違いしていたのかもしれません。



「IBM PC」という名前があるように、今のパソコン市場を切り開いたあのIBMでさえ、パソコンから撤退してるので、日立なら、もうとっくに撤退しててもおかしくなかったと・・・(何を言ってるのだ)





というわけで、「日立といえば、ベーシックマスター」・・・と、私の中ではそのイメージで、時が止まったままなんですが、まあ、なんというか、正直言って、日立のパソコンって、実は、一度も使ったことがありません。というか、見たことも、ほとんどないです。ベーシックマスターってのも、知識として知っているだけ。



小学生~中学生のころにあったパソコンブーム(1982年~くらい。MSXのちょっと前くらいから)、ナイコン(=パソコン、マイコンを持っていない人のこと)だった私は、電気屋さんに足しげく通ったりしてました。あのころ、電気屋さんでは、パソコン(マイコンって呼ぶことが多かった)が置いてあって、自由に触らせてもらえるようになってたものです。



・・・で、そのころ、うちの近所には、どこにも、日立のパソコンって、無かったんですよ。一度だけ見たのは、ユニーの中にある電気やさんで、子供でも「不良在庫だ」とわかるくらいの、超・旧機種だったベーシックマスターLEVEL2を、店員に安くもない値段で売りつけられて、何も疑わず買っていった大人の人を見て、「ああ、人間って、こうやってだまされるんだな」と社会勉強をしたときのこと。



その後、パソコンに限らず、コンピューターすべてで、日立とは、まったく縁がなかったです。学生のとき、日立のメインフレームをちょこっと見学させてもらったことがあったかな、くらいでしょうか。





懐かしい日立のパソコンの広告、いくつか。



「マイコン」(電波新聞社) 1983年5月号 から



ベーシックマスター16000シリーズ、ベーシックマスターレベル3マークII、ベーシックマスターJr



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(クリックして拡大。以下、同じ)





コンパクトフロッピーディスク





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これって、3.5インチFDDかと思ってたんですが、サイズが、100(縦)X80(横)X5(厚さ)と書いてあって、これって、3.5インチFDDよりも小さい。うっ、これ、3インチフロッピーってやつですか?



3インチフロッピーといえば、シャープのX1Dで採用された、超マイナー規格・・・



ちなみに、3.5インチは、マイクロフロッピーディスクという名称で、ソニーが開発。





「I/O」(工学社) 1984年5月号から。



日立パーソナルコンピュータ S1





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ゲートアレイを12個作っちゃいました、みたいな宣伝文句が出てるのですが・・・、そんなこと言っても、一般大衆にはぜったい効果ないだろうなぁ、と思うのです。すでにこのころから、方向性がズレてない?!という感じも。



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S1という機種は、そんなに悪くはないと思うのですが、なんでダメだったんでしょうかね。過去のソフトウェア資産とかが原因なんでしょうか。
ところで、上の広告にのってるゲームの画面は、ハドソンの、爆弾男(=ボンバーマン)ですね。





こっちは、広告ではなくて、雑誌のレビュー記事。



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ごくごく無難で、悪くはないハードウェアだとは思うのですが、何が悪かったんでしょうか。



「Z80 vs 6809」という対立の構図がありました。68系の機種って、ちょっとマイナー?って感じがしてたんですけど、それも原因?



単に、NECがあまりにも強力すぎたのかも?





さらにオマケ。



年刊 AhSKI! (ASCIIパロディー版) 1988年 から


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「1999年の互換機環境」という記事が載っています。



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この記事によれば、日立のベーシックマスター16000は「世界初のIBM PCコンパチマシン」だそうです。ASCIIパロディ版には、ウソとホントが入り混じっているのですが、これは真実っぽい雰囲気ですけど、どうなんでしょうか。



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ところで、この記事の最後に、「記憶に新しいので」っと言ってるのは、IBM産業スパイ事件のことでしょうか?



ちなみに、この記事が書かれた1988年当時で話題になっていた互換機というのは、エプソンから出たPC-9801互換機のことですね。
あー、そんなのあったな、みたいな、遠い過去の話のような気がしてしまいます(笑)。



日立とはまったく関係ない話ですが、大学生協で、エプソンのPC-286が盛んに売られていました。さんざん「80286で十分だ」と宣伝して売りつけておきながら、その後すぐに「386の時代だ」と手のひらを返すように・・・あれで、学生みんな、大学生協を嫌いになってました。





2 件のコメント:

  1. MB-16000は本当にIBM-PC互換機でしたよ。
    PC-DOSもちゃんと動きましたし、ロータス1-2-3も動いたです。
    ただ、グラフィックは互換性が無かったみたいです。
    とはいえ、IBM-PCはCRT用のボードは別扱いになっていたので、
    ドライバーさえ書けば、IBM-PC同様に使えたのでしょうね。
    どこかに、そのドライバーも実在するかも。
    PC-9801の登場であっさり撃墜されましたが、いいパソコンでしたし、
    その後はCAD用の専用端末として、けっこう台数が出たようです。

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  2. そうだったんですか。
    いまさらながらネット検索してみると、なかなかいい製品だったと評価されてました。
    キーボードのファンクションキーの右隣が、カバーがかかったリセットスイッチなんだとか。頻繁に押す必要があったのでしょうかね。ctrl+alt+deleteはIBM PCのときからあったようですが。

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